私は丹波篠山に生まれて育ちました。
この町はこの先の未来、持続可能であるかを考えたときに、持続可能ではないという結論にいきつきました。
なぜかというと、今の人口減少と少子高齢化の状況を見たときに、年々悪化の一途を辿っているからです。
「いや、そんなことはないし持続可能だから大丈夫だよ」
ということでしたら、市民は安心して暮らしていけるなと思います。
ただ、もしそうじゃないのだとしたら、なんとかしないといけません。
私は、2015年にUターンして、株式会社いなかの窓を立ち上げました。
地域の情報発信を通して、地域活性を図ろうという理由です。
それから8年経ちましたが、未だにこの町の人口は減り続け、少子高齢化は加速しています。
この町に帰ってきた頃は、自分がこの町を救うのだという想いで帰ってきました。
しかし、私の行動は焼け石に水、というような結果になっています。
この町で活動を続ける中で、自分の無力さを知りました。
この町を救うにはまだまだ力不足だということを痛感しました。
それでも、この町を救いたいという思いは今も変わらずに持ち続けています。
なぜそこまで丹波篠山市にこだわるのかといえば、私の生まれた町だからです。
私を育ててくれたこの町と、この町の人たちに恩返しがしたいからです。
私がこの町で生まれ育ち、今の人生があるように、これからこの町で生まれ育つ子どもたちが幸せで豊かな人生を過ごして欲しいからです。
この町は、私にとって、世界のどんな地域よりも「良い町」なのです。
だからこそ、遠い未来まで残したいのです。
これまでの活動の中で、そんな思いを持った人が自分だけではないことを知りました。
この町を持続可能にするために、自分の時間を削って日々行動をし続ける人たちとたくさん出会いました。
私もそんな人たちと、せめて肩を並べられるようにという思いで日々活動をしています。
そしていつか、そんな人たちと一緒にこの町を救いたいと思っています。
この町の人口は減少の一途を辿っていますが、もしこの先、この町を救いたいという思いを持つ人が一人、二人と増えていくのだとしたら、それはこの町にとっての希望だと思います。
そんな仲間を一人でも多く集め、つなげていくことが今の私の役割ではないかと思っています。
私はこれからこの町の未来についての情報を、つらつらと発信していきます。
その情報を見て、一緒に実現してみたいと思ったり、もっと面白いアイデアがあるよと思ったりした方はぜひ、未来創造支援団への参加をお願いします。
みんなで一緒に、この町の未来を創っていきましょう。