30歳で市議会議員に!?丹波市の横田親さんに訊く、主体性からはじまるまちづくり

丹波市にお住まいの横田親(いたる)さん。

現在41歳ですが、30歳で丹波市議会議員になられた経験を持っておられます。

30歳で市議会議員。

議員としてはかなり若手ですが、なぜ横田さんは市議会議員になろうと思ったのか?
そして、実際になってみてどうなのか、訊いてみました!

 

なぜ丹波市議会議員になろうと思ったのですか?

丹波に引っ越してきたときに、NPO法人北近畿未来という組織で県民局が実施している大丹波構想というプロジェクトに関わりました。

引っ越してきて1年目で始めたのがまちづくりの仕事で、2年目からは少し落ち着き始めた頃にまちのことに関わることが増えて、島根県隠岐郡海士町に行ったり、滋賀県の武雄市の市長に会う機会があって、まちの人が政治に近いと、まちは活性化していくなと感じました。

その一方で、丹波市をみたら

「市議会議員はあほがやる仕事」

「市長もあほ」

など、政治をやっている人はあほ、っていう話をよく聞くことがありました。

それってつまり、政治をしていない人のほうが賢いってことだから、政治をやったことがない人が政治をすればいいのでは?と思って、いろんな人に「政治家になってみたら?」と言ったら

「おじいちゃんが遺言でやるなと言った」

「奥さんがダメだと言っている」

と、政治に関わらない理由を人のせいにするような発言をよく聞きました。

批判だけしていざ自分に白羽の矢が立ったら逃げる。そんなしょうもない大人になりたくないと思いました。

ただ、そうやっていろんな人に「政治家になってみたら?」と言っている自分自身も、そんな大人たちの仲間だなと思って、これはダサいなと思って出馬を決めました。

で、そう決めたのが投票日の2週間前でした。

僕の中では「出馬する」ということが大事だと思っていました。

やるだけやった上で「出馬した」という事実は、落ちても受かっても、少なくとも「言い訳をせずに政治に関わろうとした」ことに代わりはないから、ダサくはないなと。

それで、2週間前にもかかわらず出馬を決めるんですけど、周りからは「2週間前に立候補できるわけがない」「受かるわけがない」という批判の声もありました。

でも、それってただ単に過去にそんなことをやっているのを見たことがない、という理由だけだったので、やってみる価値はあるし、その常識を覆せると思って立候補しました。

最終的には奥さんへの説得に4日かかったので、実質投票日まで10日、というところから選挙戦に挑みました。

批判はするけど自分はやらないというのは典型的なあるある話ですが、横田さんはそれを自分自身に置き換えたときに、そういう人間になりたくないという思いが強く、出馬を決定されたということですね。しかも2週間前ってすごいチャレンジングだと思います。行動力の化身。

実質10日間で受かるのはかなり厳しかったと思いますが、なぜ受かったんでしょうか?

「この町は何も変わらない」というムードの中で30歳という若手の立候補者が現れたことや、維新の会の人が市長選に出るなど、「若者に一回政治を任せてみよう」というような空気が丹波市内で生まれていました。

なので僕自身も「若者に一回政治を任せてみませんか?」「若い議員が一人もいないのはおかしくないですか?」「若い人が立候補したけど受からなかった、ってなる町は嫌じゃないですか」というように、自分自身の能力や信頼感どうこうというよりは、今回は一旦、横田に任せてくれませんか?という姿勢で挑みました。

あとは、僕の周りの人たちの力もすごかったです。一人で100票以上集めてくれる方が数人いたり、裏方の仕事を全部やってくれる人がいたり。

おかげで僕は、「一生懸命やっている若いやつ」というプレイスタイルで、町に繰り出して走り回ることに専念できました。

当時、当選ラインが1300ぐらいでした。確定票が1000票ぐらい読めるようになり、あとは+400票ぐらい集まるだろうと考えていましたが、結果的に1780票集まり、当選することができました。

営業力あるなぁというのと、人を巻き込んでいく能力があるなぁと思いました。常人が真似したらスベりそうですね。

議員になる前となった後でギャップはありました?

ギャップっていうほどのギャップはなかったです。

というのも、もともと政治に興味がなかったので笑

「二元代表制って何?」ってところから。

中学生に及ばない公民の知識で議員になったわけです。

なので、95%ぐらいはそもそも新しい知識でした。

ただ、5%ぐらいだけギャップがありました。

それは、「市議会議員はあほ」という話を聞いていたけど、すごく熱心で本気の議員さんがたくさんいる、ということです。

それと、ギャップじゃないけど、議員ってめっちゃ決定権とか影響力があるんだということが分かりました。

 

議員って執行権がないからどれぐらい影響力あるんだろうと思ってましたけど結構影響力あるんだなぁと思いました。

 

横田さんの議員としてのスタイルはどんな感じでしたか?

「風穴をあけにいく」という勢いでやっていました。

今まで取り組んでいないこと、やってなかったけどやれなくはなさそうなことをやる。ということを目指しました。

風穴をあけていれば、あとから来る若手に残せるので。

今までにできなかったことをちょっとだけやっておこうと思って取り組みました。

たとえば、議会でみんなメモを手書きでとっていたので、「パソコンでメモしたらいいやん」と思ってパソコンを持ち込んでいました。他の人は誰一人持ち込んでいなかったのに。

そしたら「パソコンを持ち込むのはおかしい」と言われました。

…で、そこから、議員全員にタブレットが配布されることになりました笑

若い人が議員になったものだから「今まで通りのルールではできないな」という配慮でした。

あとは、市議会報の文字量を大幅に減らしました。従来の3分の2ぐらいに。

当初は本当に文字がびっしり書いてあって小説みたいになっていたので、これは誰も読まんと思って、文字の大きさを変えたり行間を増やしたり、イラストや図を挿入したりして読みやすくしました。

市議会報を変えてから、良い評判を受けて、結果的に市議会報の全国の勉強会では参考のテキストとして使ってもらえたりもしました。

ただ、これに関しては当時市役所の職員だった編集員さんがかなり優秀だったことも功を奏しました。

他にもいろいろなことに挑戦しましたが、そういう取り組みは2年目以降で行いました。

初年度はルールを覚えることに専念してたからです。

やったほうが良いと思うことはやったほうが良さそうですよね。てかタブレットは良くてパソコンはダメなんですね。

もっとこうしておいたほうが良かった、ということはありますか?

僕は4年で議員を辞めましたが、その方針としての後悔はないですね。

あれ以上、やれるイメージがなかったので。

たとえば、さらに市議会議員をもう4年やって、その後県議会議員を目指して、市長を目指すとか、そういう政治に生きていくのであれば、もっと周りの政治家の意見を聞くスタイルをとっていたと思います。

政治家としてキャリアを積んでいくのであれば、僕みたいにいろんなことをやりすぎるのは良くないと思います。

政治では数が力になるので、数の承認をとるためには、多くの人を納得させられるような信頼のある人になっておかないといけない。

政治家らしい政治家になろうと思ったら、きちっと組織の方針に背かずに、やるべきことをやる、というのが良いかと。

これからのキャリアを政治家として生きていくか、そうでないかによって議員としてのスタイルは変わりそうですね。

もともと4年で辞めることを考えていたんですか?

何も考えてなかったです。

面白かったら続けようと思ったんですが、2年目の終わり頃に「この先もこの繰り返しか」って考えたときに退屈になりそうだと感じました。

当たり前のことを繰り返していくというのを好まなかったので、2年で飽きました笑

4年目なんかは終わりに向かって、いろんな人に「お疲れ様でした」って言っていく感じでした。

ただ、2年で飽きたとはいえ、市議会議員という立場は続くので、せっかくだからこの立場で3,4年目はいろいろな人に出会いに行くということをしていました。

そして、丹波市に外からの目線を取り入れたいと思ってたくさんの移住者を連れてくるようにしていました。

1期4年だけでも結構長いなぁと思いますが、何期もやってる人ってすごいなと思います。ただ、慣れてしまうとフレッシュさもなくなるからそのあたりのバランス感覚は常に持ち続けないといけないのかなと思いました。

議員を終えた後のキャリアはどのように考えていましたか?

何も考えてなかったですね。

お金に困ったら一生懸命働こうと思っていました。

辞めた後「小商い塾」というのを始めました。

自分で何かをやってみたい、という人のために小さいビジネスを始める方法について学ぶ場づくりです。

創業したいという思いに、動ける範囲で動いていました。

その結果、ひたすら全国を動き回っていて丹波市にはほとんどいなかったと思います。

市議会議員を経験して、めっちゃなんでもかんでも僕に依頼がくるようになりました。いい意味では「頼りにされている」と捉えることもできるのですが、僕は逆に「誰かに任せてしまえば良い」という空気を作ってしまっている気がしたので、みんながそれぞれ自分が主役でやっていくのだというのを促してきました。

僕はどちらかというと頼りにならない人として、言われたらやるけど丹波市におらん、忙しそうだから声をかけられない、という風に思って貰う必要がありました。

議員をやめた後のキャリアってみんなどんな感じなんでしょうね。現役中に頼りにされるということなので人材としてのニーズは高くなりそうですね。

議員になったらそんなに頼られるんですか?

議員になると、行政関係、民間関係、市民活動団体などたくさんの組織の人と会い、それぞれの人の悩み事を聞くことができます。

そうすると、いろいろなことがどういう構造で起こっているのかが分かってきました。

そしてそういった問題を、いろいろな仕事を他の人に任せることができるという僕の強みを活かして、いろいろな問題の解決方法を提案していたら、どんどん好循環が生まれて、頼られまくるようになりました。

でも、頼られてそれを解決する、ということを繰り返していると、依存されてしまって良くないなと思いました。

だから、みんながそれぞれ自分の力で解決していくことを促せるような活動が大事だなと思います。

頼られるということが良い面も悪い面もあるんだなという印象です。横田さんはそれを自分で解決するのではなく、みんなそれぞれが自分の力で解決していくように働きかけを行ったということですね。

それっていわゆる主体性を持つということですかね?主体性を持つためにはどうしたらいいでしょうか

とにかく自信をつけていくことが大事だと思います。

たとえば、地域で開催されているセミナーに参加している人というのは、基本的な自信はある人だと思っていて、中には行きたいけど行けない人がいる。

行きたいけど行けない人というのは「行ったら迷惑かもしれない」とか「誰だこの人って不審がられるかもしれない」と思ってなかなか一歩踏み出せなかったりします。

そういう人が来やすいように、ウェルカムな雰囲気を出していかないといけないのと、もしそういう人が勇気を出して来てくれたとしたら「来てくれてありがとう」とちゃんと伝えていくことが大事です。

感謝を伝えていくことで「自分はここにいていいんだ」という自信につながります。

で、これが初期段階です。

自分で問題を解決していくんだという主体性を持ってもらうためには、

いるのが不安→喋るのが不安→人まで言うのが不安

という流れでそれぞれの不安を解消していく必要があります。

「自分はここにいていいんだ」という、いること自体が不安であることを解消できたら、次はその人の話をしっかりと聞いてあげることが大事です。

そして「あなたの思いや夢などには魅力がある」というのを伝えていく。

何回も伝えたら「あなたの思いや夢を人前で言ってみてはどうか」と促す。

そして最終的には、その思いに共感してくれた人を巻き込んで、事業をやるとか、法人を立ち上げるとかになったら大したもんですね。

たしかにセミナーに来てる時点で勇気ある人だなと思います。大抵の人は行きたいけど行けない、というのが普通ではないかなと思いますね。

 

まとめ

今回は横田さんが議員になろうとしたところから実際になってみてどうだったか、また、その後のキャリアについてお話しいただきました。

横田さんとは議員の後半ぐらいで初めてお会いしまして、僕の中では「フットワークの軽い面白い人」という印象ですが、今回のお話を通して、改めて「フットワークの軽い面白い人」という印象になりました。あ、つまり横田さんらしいなということです笑

頼られることというのは責任が生じることですが、それを主体性に繋げていくという発想は良いなと思いました。

地域に住む一人ひとりが自ら率先して課題解決に向けて動いていくことができれば、住民の幸福度も上がるし地域も盛り上がっていくだろうなと思います。

このあと、主体性をどうつくるか、という話が展開されていくのですがそちらはまた第2弾で発信させていただこうと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

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